連載を終えるにあたって、私の最近の自然への接し方を書こうかと思います。このような変わった内容のエッセイを書く地質学者と称している私が、どのような研究をしているのか、それを書くことが、私の自然への接し方を理解いただく、一番いい方法かもしれません。私の研究テーマの概略を紹介して、連載の最後の挨拶としましょう。
私は、北海道に2002年4月から住むようになりました。それにともなって、研究テーマを、今までのものをすべて終わりにして、いちから始めることにしました。地質学、科学教育、哲学の3つの分野で研究テーマを決めて始めることにしました。
地質学の研究では、研究の対象地域を北海道に移すことにしました。ただ、北海道のある限られた地域を対象とするのではなく、北海道の全域に広がるようなテーマにしました。
そのテーマとは、3つの内容からなっています。ひとつは北海道に13個ある一級河川のすべてで川原の石ころを、できれば上流、中流、河口で調べること。つぎが北海道の川や海など自然状態の砂を採取して調べること。最後が北海道にある94座の活火山の代表的岩石標本の採取と景観の撮影すること。これらの3つをテーマとしています。
地質学の専門家からすると、この3つの内容は、どれもちょっと変わったもので、いままで地質学者があまり取り組んでこなかった素材です。つまり、あまり科学的な探求にふさわしい素材ではなかったのです。私は、そんな素材をあえて研究テーマとして取り組むことにしました。
その理由は、市民の自然に対する興味と、科学者が興味をもって取り組んでいることが、あまりに乖離していることに疑問を感じていたからです。このような市民の好奇心と科学とのギャップを埋めることを、私の科学教育のテーマとしています。
誰でもいいです。石ころがいっぱい転がっている川原に連れて行ったらどうするでしょうか。何もいわなければ、変わった石ころを集めたり、川に石を投げたり、川に入ったり、ついつい遊んでしまうはずです。川の石ころは、大人でも子供でも、好奇心をくすぐるもののはずです。砂浜に連れて行けば、同じように砂や海で遊ぶでしょう。
このような誰もが持つ自然への好奇心を、なぜ、科学は利用できないのでしょうか。もし、好奇心をいっぱいにした彼らに、専門家が、これらの石は、火成岩、変成岩、堆積岩に分類できて、火成岩はマグマの化学組成によっていくつかに分類できて、・・・・と説明をはじめていくとどうでしょうか。今まで好奇心によって光り輝いていた石ころが、とたんに面白くない灰色の石ころに変わってしまわないでしょうか。
なにもそれは川原や海などという自然の中だけの出来事ではありません。実験室でも同じようなことが起こっています。石ころを光を通すような薄片にして、偏光顕微鏡でみると、そこには色鮮やかな、今まで見たことないような、きれいで不思議な世界が広がります。だれもがその美しさに感動するはずです。でも、専門家が、このような色の変化をする鉱物は角閃石で、色の変化は結晶を通り抜けるときの光学的性質によって・・・・と説明をはじめたらどうなるでしょうか。やはり鉱物の美しさが色あせ、輝きが半減してしまうのではないでしょうか。
なぜ、このようなことになるのでしょう。科学の伝え方と市民の好奇心の間にギャップがあるからではないでしょうか。自然とは好奇心をくすぐるもののはずです。科学とは面白く、探求することにも面白さがあります。でも、それがうまく伝わっていないのではないでしょうか。そんな科学の面白さを伝える方法がもっとあるはずです。それは、知識を伝えるのではなく、好奇心を満たしながら、科学的探究をする面白さを伝える方法がきっとあるはずです。
そんな方法なら、きっと私自身で面白いなと思いながら、研究も進めていけるはずです。それを身を持って体験しながら進めていきたい、そこで生まれた方法を市民に伝えたいと思いました。つまり、私自身が理屈ぬきに面白いと思えることを、面白いまま市民に伝えたい、と考えています。これが私の目指す科学教育の方法です。
そんな方法を探るための素材として、上でいった石ころ、砂、火山を選んだのです。もちろん地質学者としても、このような誰も見向きもしなかった素材を、科学的成果として通用するものにもしていきたいと考えています。それができるかどうかは、私の努力と能力によります。これが、地質学と教育の両方をかねた研究テーマです。
研究の過程で、私が地質学者としておこなった記載や記録した石ころ、砂、火山の情報は、だれにでも役に立ち、楽しめ、そして利用できるものになるはずです。私が集めてデジタル化したデータを「北海道の自然史」データベースとして公開し、多くの人が自由に利用できるコンテンツを実物をもとにしてつくっています。
このような研究目的のために、私は北海道を駆け巡っています。もちろん大学教員という仕事もあり、他の共同の研究テーマも抱えています。その隙間を縫って、このようなテーマに取り組んでいます。
とりあえずは、3年間ほどで13の一級河川のすべてを巡るつもりをしています。そのために、北海道の中央部、南部などの近いところから調査を始めました。調査の仕方も、記録の仕方も、今まで誰もやったことがないので、試行錯誤をしながら、始めています。でも、楽しんでいます。
もうひとつ大きなテーマがあります。それは、地質学と哲学の間に位置するようなテーマです。
今までの地質学の歴史の中で記念碑的な露頭、あるいは地質学で最も重要な、典型的な岩石、地層、産状、露頭などを可能な限り、めぐっていきたいと考えています。それは、日本だけでなく、海外も含まれます。そこでは、地質調査はあまりしていません。地質学の典型とされるところで、いろいろなことを感じ、思いを巡らしたいのです。そんな野外から、生(なま)の自然からのインスピレーションを得て、それをもとに哲学的な思索を深めていきたいと考えています。地質哲学ともいうべきものを目指しています。
大きな地質哲学の枠組みの中のひとつとして、とりあえずは、こんなテーマを考えています。地球に流れている時間について考えることです。
自然科学の中で、地球で一度しか流れていない「時間」の変遷を一番よく理解しているのは、地質学という分野ではないかと考えています。そんな流れ去って二度と繰り返さない歴史を、いかに科学的に実証的に研究するかという課題は、地質学の重要な役割です。そんな一度きりの時間、いってみれば地球時間を一番深く考え、苦労しているのが地質学者なのです。
でも、地質学を基にした哲学は、まだできていません。そんなだれも成し遂げてないことを夢としています。そんなテーマを完成するために、時間とお金が許す限り、世界中の露頭を巡って見ていこうと思っています。
以上が、私の現在の研究テーマであります。そしてそのいくつかは、ライクワークになるはずです。でも、まだまだ修行中であります。いつになったら、人工衛星から見るような空からの視点が身につくのでしょうか。いつになったら、地を這うことを卒業できるのでしょうか。まだまだ私には時間がかかりそうです。でも、こんな研究テーマを楽しんでいます。
最後になりましたが、1年間、エッセイにお付き合いいただき、ありがとうございました。
隕石の偏光顕微鏡写真
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川原での調査
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2003年12月1日
小出良幸