Title

12 科学する心を育む

 私が、北海道に転居して、はや2年が過ぎようとしています。この2年間に、私は北海道の各地を回りました。今までにはない日数を野外調査で過ごすことになりました。そんな野外の自然から感じたことを、最後のエッセイとして綴りましょう。


 野外調査から研究がはじまる地質学では、野外調査に多くの時間を費やします。しかし、多くの研究者は年齢を経るにしたがって、仕事が忙しくなったり、体力も衰えたりして、野外調査の日数が減っていきます。以前の職場では、私がそうでした。年間を通じて野外調査にでることは、海外調査を除くと、年間に数日程度でした。地質学とは自然の中にある地層や岩石を詳しく調べ、試料を採取して、それを室内で詳しく調べていくというもののはずです。そんな調査を10年以上おこなってこなかったのです。そんな自分が、自然や地球について市民に語っていたのです。これでは、いけないと強く感じました。

 北海道にきて、私は自然に接することを心がけました。そのひとつの活動として、今まで怠っていた野外での地質調査を再開することにしました。私がいる大学は、文系の大学で、理系の教員も少なく、地質学をおこなっているのは私一人です。大学の理学部でおこなっているような地質調査からはじまる一連の研究をしていては、独創性が発揮できません。そこで、私は、特別な道具がなくてもできる野外調査を中心とした地質学をおこなおうと、テーマの模索を始めました。

 でも、テーマ決定よりも、まず最初にすべきことは、自分自身の自然への回帰でした。北海道の自然によりよく接すること、つまりは自分自身の自然に対するリハビリテーションに1年間を費やしました。北海道でのテーマ探しは、その後のことです。

 そして今年の春から、本格的に野外調査をはじめました。数えてみると、昨年12月から今年の11月末までの1年間で、私は55日間を野外調査に費やしたことになります。この調査時間は、地質学者として多いかどうかわかりません。多分、少なくはないはずです。もっと長時間、野外調査に費やされている方もおられるでしょうし、以前の私のように室内実験を中心にされている方もおられるはずです。なにを目的にするかの違いでもあります。私は、野外調査を研究手段として重視することにしました。

 私の野外調査は、テーマも変わっていますが(「連載の最後に」を参照)、やり方も変わっています。多くの研究者は、野外調査にでるとき、一人か、あるいは共同研究者、大学院生、学生などと一緒で、同業者ともいうべき地質学を研究する人と一緒に行きます。以前の私もそうでした。

 多分、自分の家族とともに出かけることは、ほとんどないでしょう。でも、私は、北海道に来てから、個人でおこなう野外調査では、可能限り家族を同伴するようになりました。もちろん、家族が一緒ではだめな野外調査もありますが。

 なぜこのようなことをしているかというと、それは、私の野外調査では家族が一緒でもできるような手法であることもさることながら、子供たちが私の研究していることを面白く思えるかどうかを確かめる意味もあったからです。家族同伴の野外調査を昨年の12月から数えてみると、29日になります。この日数は家族サービスにしては度を越えています。家族サービスではなく、家族の言動や反応を観察することも、私の研究だと考えていました。家族の振る舞い、特に子供たちの自然に対する行動、好奇心の持ち方、私の説明に対する反応などを、ちらちらと観察していたのです。

 おかげで我が家の子供たちは、いろいろなところに出かけていきました。今年だけでも、四万十川、石狩川、留萌川、尻別川、後志利別川、沙流川、鵡川、十勝川などで、源流から河口までたどる調査に同行しています。5歳と3歳の男の子ですが、たいていのところへは、一緒についてこられました。次男が無理でも、5歳の長男であれば、たいていのところは手を貸せば、崖でも藪の中でもついてこられます。かえって家内のほうが足元のおぼつかないときもあります。

 調査地点につくと、私は予定の調査をはじめます。調査は30分から1時間ほどかかります。その間、子供たちは川原で自由に遊びます。石や砂、泥、水などがあれば、子供たちも家内も楽しく遊んでいます。

 私が求めているのは、これです。知識などなくても、自然の中に連れ出せば、好奇心をいっぱいにして夢中になれるのです。自然は、好奇心を起こさせるもっとも手っ取り早い場であり、素材です。あとは、好奇心を探求する心へどう導くのか、あるいは科学する心を育むにはどうすればいいのか、これらが課題として残ります。これが、私の研究テーマのひとつなのです。

 逆に教えられることも、いろいろあります。十勝川の川原では、十勝石(黒曜石のこと)を探したのですが、見つけたのは私ではなく家内でした。家族は見たこともない石を私から口で説明を受けただけで、探して見つけたのです。これには私も面目をなくしました。実は、私はこのあたりには十勝石が少ないだろうという先入観があったため、家族には探せといっていたのですが、内心では、ないだろうなと思っていたのです。ですから、見つけようとしていないものは、見つかるはずがありません。多くの一生懸命な目でみると非常に稀なものでも見つかるのです。家内が見つけたあと、私も目の色を変えて探したのですが、面目は立ちませんでした。

 先日支笏湖に出かけました。11月中旬だったので、あちこちの道で冬季閉鎖がはじまり、通行禁止になっていました。これは誤算でした。しかし、樽前山はまだ、閉鎖されていませんでした。7合目より少し上の展望台まで子連れで登りました。大きな段差の階段状の登りがしばらく続きましたが、次男も家内、もちろん長男も登ってきました。森林限界を越えたところが展望台です。一気に展望がひろがり、きれいな樽前山やその向こう側の風不死岳の姿、さらに向こうには支笏湖と外輪山の山々が見えました。樽前山はまだ、噴気活動が活発で、火口内には立ち入り禁止です。

 ここから見える山々すべてが火山の活動でできたというと、長男は理解したようです。足元にあるすべての白っぽくて軽い石(軽石)が上に見える火山から飛び出してきたものであること。あちこちに転がっている直径50cm以上もあるような大きな重そうな石(火山弾)も、噴火口から飛んできたということ。そんなことを体感できたようです。さらに、下に見える大きな支笏湖(カルデラ)も火山の噴火でできたというと、驚きをもって実感したようです。カルデラをつくるような火山活動は、今見ているような穏やかな山の姿ではなく、とんでもなく激しいものだということが、見えない過去を想像しながら、理解できたようです。

 子供には地図は理解できません。カルデラの規模や外輪山の規模は、見ることでしか確認できません。でも、目で見たことは、体感的に理解できます。そして、周りの山々がすべて火山で、その中にある大きな湖から、大規模な火山の規模が想像でき、それがとんでもない事件だということを、子供にも理解できるのです。こんな気持ちを育むことが、自然のよき理解へとつながるのではないでしょうか。

 自然という野外でしか見られない素材はインパクトのあるものです。生の自然を自分の目で見て感じることから好奇心が生まれます。そんな好奇心から、深く考えることで、目では見えないけれども、過去に起きた大事件がわかるのだということを身を持って理解できます。誰でも同じような感動や理解が得られるはずです。私は、そんな、感動や理解を与える方法、わかりやすく科学を伝える方法を開発したいと考えています。完成にはまだまだ時間がかかりそうですが、私の目指すべき方向です。

 さて、今回がこの連続エッセイの最終回となります。最後が家族の話なのでどうしようかと思いましたが、樽前山をテーマに書き出だしたら、このような話になりました。でも、この1年間、私が力を入れてきたテーマでもあります。だから親ばかと呼ばれるかもしれませんが、掲載することにしました。

 研究者としてやるべきことには、幅があります。先端の分野を追いかけて成果を上げることも科学です。ひとつの地域、ひとつのテーマを深くじっくりと追求していくことも科学です。市民にわかりやすく自然の面白さを伝えることも科学者の仕事のはずです。科学する心を芽生えさせるのも科学者の仕事です。いろいろな科学の仕事があってもいいはずです。

 研究者は、研究テーマとなっている自然や、それを科学することを面白いと思っているはずです。そんな気持ちをより多くの人に伝える機会や場がもっとあっていいはずです。研究の成果だけを専門家間で伝えあうことだけが科学ではないはずです。市民にわかりやすく伝えることも重要なはずです。自然や科学することが面白いと思う気持ちをより多くの人に起こしてもらうこと、これを私は重要な研究テーマとして取り組んでいます。

 より多くの人たちが、科学に対して理解してくれれば、その延長線上に、科学のために国の予算が使われていることも納得されるのだと思います。そんな科学への理解がより深まることを願って、このサイトでのエッセイの連載を1年間続けてきました。

 もともと1年間の予定ででもあったし、ERSDACが業務の合間にホームページを作成するもの大変になってきたので、これで区切りといたします。今後、私が衛星画像とどうつきあうかは、自分自身で考えていかねばなりません。その答えはまだ出ていませんが、宇宙からの視点は、興味深いものです。子供が川原の石で好奇心をもつように、私も衛星画像を好奇心いっぱいに眺めていこうと思っています。 

2003年12月1日
小出良幸

 

 

ASTER image
 画像-1 支笏湖を南側の噴火湾からみた鳥瞰図
(2000年6月17日観測のASTER/VNIR)
画像の拡大(jpegファイル2.6MB)

   2000年6月17日に観測されたASTER/VNIRの画像を合成して作成した擬似ナチュラルカラー画像です。この画像は、光の三原色の赤をASTERのバンド2に、緑をバンド1と3に、青をバンド1に割りあてて作成したものです。手前に見える町が、苫小牧から白老の海岸沿いの町並みです。黒っぽく見えているのが支笏湖です。支笏湖の手前には、樽前山の灰色の火砕流堆積物がよく見えます。その奥には植生に覆われた風不死岳があります。支笏湖の北側には、恵庭岳が見えます。樽前山や支笏湖の北側に見える白いものは雲です。

ASTER image 画像-2 支笏湖周辺の衛星画像
(2000年6月17日観測のASTER/VNIR)
画像の拡大(jpegファイル2.7MB)

 2000年6月17日に観測されたASTER/VNIRの画像です。この画像は、赤をASTERのバンド3に、緑をバンド2に、青をバンド1に割りあてて作成したフォールスカラー画像です。右下の青と白の模様のところは、噴火湾の海面です。陸地に転々と白く見えているのは、雲です。黒く見えている部分は、中央が支笏湖、左で切れているのが洞爺湖で、下の小さく丸いのが倶多楽(クッタラ)湖です。右上にみえる市街地は千歳市です。

 

map
図-1 画像位置図

 

photo

写真-1 支笏湖のパノラマ

  支笏湖の北側の湖畔、千歳市幌美内(ポロピナイ)から見た支笏湖を、3枚の写真から合成したパノラマ写真です。カルデラは約4万年前のとてつもない大噴火によって形成されました。カルデラである支笏湖のまわりには、カルデラ壁にあたる外輪山があります。外輪山は1000mを越す高い山並みが続いています。カルデラ形成後の火山(後カルデラ火山)として、風不死岳、恵庭岳の順に活動し、現在は、南側の樽前山(写真右の山の奥に当たる)が活動しています。

 

photo
photo
写真-2 風不死岳

 支笏湖の東湖畔(支笏湖温泉)からみた風不死岳(1,103m)です。約2万年前に活動した火山で、最近は活動を休止しています。出かけた日は天気が悪く山頂は雲がかかることが多く、山頂をきれいに見ることができずに残念でした。風不死岳の裏側には、活動中の樽前山(1,041m)があります。

写真-3 樽前山中腹の展望台から見た支笏湖と外輪山

 手前の展望台から続くなだらかな斜面は、樽前火山の火砕流の堆積物からできています。火山の近くに行くとその山自体の大きさがわかります。樽前山もカルデラの形成後につくられた山のひとつに過ぎないことから、支笏のカルデラをつくった火山の大きさ、そしてその大きな山と山が崩れてカルデラをつくった火山活動の激しさを火山をいろいろな地点から見ることによって感じることができます。これは、まさしく人間のスケールで大地の営みを感じることでもあります。

 

photo

写真-4 樽前山の軽石

 1739年(元文4年)に噴火した時に放出された軽石です。マグマが急激に固まるときに、マグマの中に含まれていたガスが急激に発砲したのち、抜けたものです。多孔質のため密度が小さく、水に浮くものもあります。樽前山の軽石は、安山岩質のマグマからできました。1739年の噴火は大きなものでしたが、その後も、樽前山は小規模な火山活動を続けています。1909年(明治42年)の活動では、山頂に溶岩ドームを形成しました。噴気活動は今も続いていて、登山客には注意が呼びかけられています。赤のスケールの長さは5cmです。

 

画像-1,2についてはJSSに、写真-1〜4および文章に関しては札幌学院大学小出良幸に著作権(所有権)が帰属いたします。転用等の際はJSSの許可が必要です。


「地球:宇宙と人のはざまにて」の目次に戻る